今回は児童養護施設で
幸せな生活を送り、
卒業後引っ越してしまって、
先生がわたせなかった
ぬいぐるみを、27年ぶりに
わたせたニュースについて
お話しします。
私が保育士の資格を
取って、福祉関係で
働いていたので、
どうしても、こういう
記事に目が留まります。
親から虐待を受けて、施設へ入る子どもたち・・・
実の親から、
または義理の親から
虐待を受けて育ち、
誰かの通報によって、
施設へ入る子どもたち…
本来なら、実の親のもと
自分の家庭に居た方が、
幸せなのは当たり前…
だけど、その、1番安全で
安心できるはずの家庭が、
恐怖の場所になってしまう⁉
何も知らないで
生まれてきて、
そんな悲惨なことって
あんまりですよね?
ここまで書いて、
もう涙出てきました。
虐待や経済的な理由で、
実の親と離れて暮らしている
子どもは4万5千人。
私は学生の時に、
施設実習で、神奈川県の
児童養護施設で、
1週間泊まり実習した
経験があります。
私は最初、怖い…
という誤った感情で
訪ねました。
しかし行ってみて、
想像していたのと、
全然違いました!
私が入らせていただいた
グループのお部屋は、
1つの部屋で共同生活する
幼児から高校生までの
合計8人のお部屋。
施設全体では2~18歳の
50人が、色んなお部屋で
分かれて暮らしています。
私がお部屋に入ると、
真っ先に小さい子たちが、
興味津々で飛んできて、
遊ぼう遊ぼう!と
全く緊張することもなく、
私に接してくれて、
救われました。
幼稚園児は男の子、女の子、
混ざっていましたが、
大きい子は女の子ばかり。
やはり、私と同じように
緊張している様子。
しかも茶髪⁉
私が小さい子たちと
遊んでふざけていると、
めちゃくちゃにやられて、
もみくしゃになってる
私を見て、中高生の
女の子たちが笑い始めて、
「ほら」
って、小さい子扱いして、
私にもおやつをくれたんです。
「あ~いいなぁ」って
小さい子が手を出すと、
「こら~!」って追い回し、
大騒ぎになりました。
本当の兄弟みたい!
夕方になると、また、
そんなお姉ちゃんたちと
幼稚園児たちとの
チャンネル争奪バトルが
激しい‼激しい‼
きょうだいが多い
昭和初期の家族の雰囲気♪
お部屋には、台所があって、
風呂も家庭にあるような
ふつうのお風呂。
お部屋の中には、
二段ベッドや勉強机、
おもちゃがいっぱい
散らかっていました。
小学生の宿題を、
中高生のお姉ちゃんたちが
みてあげたり、
幼稚園児たちを子守したり、
喧嘩の仲裁したり・・・
寝るときは、
先生が各部屋を見回って、
小さい子は添い寝して
寝かしつけたり、
絵本を読み聞かせして、
本当にお父さん、お母さん
みたいに接っしていました。
私も夜の見回りに
同行させていただきましたが、
中高生の男子だけのお部屋で、
「せんせ~ぇ、寝かしつけして~」
とふざけて甘えてくる男子たち、
それを軽く笑いながら
「だめだめ~!早く寝なさい!」
とたしなめる先生とのやり取りを
見ていて、心温まり、
よい施設だなぁって思いました。
入所期間は、
全国平均で4~5年です。
1年未満で退所する子もいれば、
10年、15年と長い間、施設で
生活している子もいて、
それぞれの家庭の事情によって
様々です。
児童福祉法では基本的に、
乳児を除く・・・と
ありますが、補足で
「安定した生活環境の確保
その他の理由で特に必要
ある場合、乳児含む」
とあります。
ここにも、0歳児のお部屋が
あって、そこでは24時間、
保育士の先生が温かい
保育をしていました。
ほんわかピンク色の
イメージの、本当に
温かなお部屋でした。
こんなに、温かく育てて
くれる他人との生活で、
少しずつ少しずつ、
安心を取り戻して、
子どもたちは、本当に
のびのびと健やかに
可愛かったです。
偏見の気持ち、恐怖を
抱いて行った自分が、
本当に恥ずかしかったです。
このニュースの男の子も、
そんな温かな施設で、
家族のようにみんなと
暮らした日々が、
1番幸せだったと
言っています。
実のお父さんから
虐待され続けたら、
心が壊れてしまって
めちゃくちゃになっても
おかしくないのに・・・
甘え方を知らない、
普通の生活が本当に幸せで
施設ではいつもニコニコしていた
なんて…涙が止まらない。
以前、保護された子が
初めて施設で寝る夜、
「お布団で寝ていいの?」
って先生に聞いたっていう
話を読みましたが、
この男の子が27年
育った間にも、まだ
そんな親のもとで
苦しんでる子が
いるんですね。
はがゆい怒りと、
見えなくて、
助けも求められず、
耐えている子を
何とか助けたい!
という気持ちと・・・
他人だけど、
身内よりも温かな
愛情を与え合える…
そういう素晴らしい施設が、
日本にはあるんだと、
安堵しました。
宮崎県の児童養護施設での出来事 虐待された子
このお話は、宮崎県にあった
児童養護施設ですごした
林田浩之さんのお話です。
浩之さんのいた施設には、
加藤久美子さんという
保育士さんがいらして、
当時、小学生だった
浩之君を気にかけていました。
お父さんの虐待から
逃れて施設へ来た浩之君。
いつもニコニコしていた
浩之君は、ほかの子みたいに
先生に積極的に甘えてこない
けど、たま~に、寝るとき、
先生のエプロンのはじを
を引っ張る気になる子・・・
浩之君は、物心がついた時には、
もう父子家庭で、お父さん、
新しいお母さんからも、
理由もわからず殴られ、
木刀で打たれ、エアガンで
撃たれてきたんです。
躾なのか、
真冬にタオルケット1枚で
縁側で寝かされたり、
砂利の上で長時間
正座されたり。
食事もほとんどもらえなくて、
学校の給食が唯一の飢えをしのぐ
食事だったので、健康診断では
毎年「栄養失調」
背の順も毎年クラスで一番前。
そんな家庭から逃げ出そうと、
何度も家出を繰り返している時、
やっと、小学5年の途中で、
児童養護施設に入ることが
できたのでした。
3度の食事や、あたたかい布団。
そして、誰にも殴られない生活。
それだけでうれしくって、
それで、いつもにこにこ
していたんです。
そんな浩之君が、
卒業と同時に、
お父さんと岐阜へ
引っ越してしまう
ことになったんです。
浩之君は、在所が
1年3か月でした。
久美子さんは、
浩之君にどれだけの
ことをしてあげられた
だろうという思いになり、
プレゼントをあげよう!
と決めました。
ほしいモノを聞いたとき、
浩之君が言っていた
「ぶたのぬいぐるみ」
それを見つけて、
用意した卒業式の日。
浩之君は、小学校での
卒業式の後、施設へは
寄らずにそのまま、
引っ越して行ってしまって、
ぶたのぬいぐるみは、
渡すことができなかったのです。
「幸せになってほしい」という
気持ちをこめてプレゼント
しようと思っていた久美子さん、
捨てたり他の子にあげたりしたら、
このまま浩之君との
つながりが切れてしまう‼
と思い、捨てずに27年
持ち続けてきました。
その卒業の日から24年経ち、
36歳になった浩之君は、
職場を辞め、運転免許証も
携帯電話も捨てて、
全ての過去から出ました。
その当時、一緒に暮らしていた
人に裏切られ、また、
子どもの頃のように、
人を信じられなくなって
しまいました。
数日分の衣類と
寝袋をだけを持って、
駅や建物の軒先で
野宿しながら、
浩之君は
「自分の居場所はどこだろう」
と考えながら、
無意識に西へ西へ、
向かっていました。
そして唯一立ち寄りたいと
思ったところが、
宮崎県の児童養護施設。
その施設は、1年3か月、
浩之さんが本当に幸せに
なれた場所でした。
だからこそ、27年も
わたせなかったぬいぐるみ
を大事に持っていてくれた
保育士さんが、今でも
思っていてくれて、
浩之さんが、
大人になっても、また
人間不信になるような
過酷な日々から
脱出して、戻った、
昔幸せを感じた場所で、
また、奇跡的に、
その保育士さんと
再会できたんです!
その施設同様、
そこの保育士さんだった
加藤久美子さんは、
浩之さんにとって
大切な人だったんです‼
奇跡が起きるまでには、
いろんな巡りあわせが、
また浩之君を幸せに
導きました。
浩之君が1年以上の
放浪の旅の末に、
たどり着いた施設は、
その時は閉鎖していて、
そこには、その時、
森に自生する草木を
使って薬草茶や
布を作って、生活する
画家の高見乾司さんと、
染織家の横田康子さんが
住まわれていました。
素晴らしかったのは、
このご夫婦との巡り合い。
普通なら、身知らずの
ホームレスの人が
訪ねてきたら、
怖いし、警戒して、
追い払いますよね。
でも、彼が事情を話したら、
しばらく泊めてくれたんです!
子どもの頃と同じように、
行き場もなく弱い立場の
浩之君の、壮絶な人生を
聞いて、受け入れてくれたんです。
信じてくれたんです、他人なのに。
昔話で出てくるような光景が、
この令和の現代でも、日本で、
本当のこととして起きている⁉
日本人の心遣いとして、
受け継がれている‼
また、ここでも仁之君は、
心優しい他人に、
救われたのです。
それから毎日、森へ一緒に
連れだって、薬草の効能、
草木の染めものについて、
また星の言い伝えなど、
様々なことを語り、
横田さんは、草木から
糸を作る方法を
教えてくれました。
そんな日々の中で、
浩之君は、自分が育った
懐かしい森の風景に
いながら、子どもの頃の
幸せな日々を思い出して
過ごしました。
そして、浩之君の希望と、
ご夫婦の10年越しの構想
「荒れた杉や竹林に手を入れ、
ハイキングコースや秘密基地
を作ったり、子どもたちの
工作教室を開く)があいまって、
そこでの生活が始まったのです。
その頃・・・
退職していた
久美子さんは、
福祉関係の冊子
「友愛通信」に載った
浩之君の記事を、
偶然目にしました。
1週間悩んだ末、久美子さんは、
まだ手元に大事に持っていた
「ぶたのぬいぐるみ」を持って、
思い切って、浩之君を
訪ねたのです!
ぶたのぬいぐるみを
長年大事にしてくれた久美子さん、
元施設で受け入れてくれたご夫婦、
人の情、善意が、この奇跡を
めぐり合わせて下さったんです!
本当に有り難いお話です。
浩之君が、どんな気持ちで、
唯一の幸せな思い出を頼りに、
全生活を捨てて、出てきただろう。
ここで受け止めてもらえたから、
ここまでの人生の全てが、
ここへ導かれる階段になって、
浩之君を、これからも、
挫折させず、人への不信感を
払拭させ、生きていこうと
思わせられたんです‼
そして今なお、虐待などで
苦しんでいる子どもたちに
希望を与えられます。
更には挫折しそうになってる、
既に挫折している、老若男女に、
勇気を与えてくれます。
これを、ただ泣いて感動話で
終わらせたら駄目だ‼
こういう子が1人でも多く
安らげる場所を作れるように、
辛い思いをしている子たちに
ちゃんと気付けるように、
大人として、親として、
きちんと子どもたちを
観ていこうと思いました。
そして、我が子に伝えていこう!
と思いました。
まとめ
27年前、父親の虐待で
施設で1年3か月過ごした
小学生だった浩之君に、
幸せを祈って買った
プレゼントの
「ぶたのぬいぐるみ」を
渡せずにずっと持っていた
保育士の久美子さん。
浩之君が、24年後に
家を飛び出し、たどり着いた
施設で老夫婦と暮らしている
記事を目にして、27年越しに
「ぶたのぬいぐるみ」を
渡せたという感動のニュース!
生きていれば、
良い事も悪い事も
当然ある・・・
でも浩之君の人生は多難で、
親にも恵まれなかった・・・
しかし、実の親以上に、
周りに気にかけていてくれた
方々が存在したことが、
人生の救いでした。
この方々の巡り合わせは
それぞれが、純真なこころを
持っていたからこそ
引き合った、奇跡みたいな
必然だったのだと思いました。
こういうことを記事にしてくれて、
この記事に、温かい書き込みを
する人々が、200人以上いるって、
まだまだ日本人、あったかいな~
って思えました。
この記事が、私たちに
突きつけている問題は、
私たちの日本人のこころ。
甘えを知らずに育ったら、
心が荒(すさ)んで、
ぐれたり、事件でも
起こしたりしそうという偏見。
私にもありました、
その偏見。
恥ずかしいです。
私は果たして、この方々と
同じことができるだろうか?