親子代々、受け継いでいく家業って
色々ありますよね。
親子でできるって、憧れるなぁと
思っていました。
それが、空の上でもあったんですね!
幸せなラストフライトのご褒美‼
年の瀬にふさわしい、
久しぶりに心温まるニュースですね~。
トップの写真が「親子そっくり~!」
勤続年数43年の機長、副操縦士は親子関係!
AIR DOの67歳機長が親子でラストフライト。「機長は“できる人”だけでなく“できた人”でないとダメ」 https://t.co/dZ4Zqi6MI2 #AIRDO pic.twitter.com/ViBRG1uY0L
— Travel Watch (@travelwatch_jp) December 27, 2019
航空会社AirDOは、
12月27日が、古田機長の
最後のフライトになるので、
その便の副操縦士に
息子さんを起用したんです!
AirDO‼
粋な計らいをするじゃないですか?
もし、次に飛行機を使うとしたら
AiRDO使っちゃうかも!!
しかも、最後の便となった帯広発便の
機内での機長挨拶がまた、良かった!
「私事ですが、この便をもちまして、
私のフライトは最後になります。
振り返りますと、本当に多くの方々に
支えられた43年間でした。
本日のフライトで、
横にいるのは私の実の息子。
AIR DOの空の安全を
息子に引き継ぎたいと思います。
今日のフライトもいつもと同じように、
最後まで安全運航をまっとうします。
ありがとうございました」
乗客は拍手大喝采だったのです。
古田機長さんのお人柄をあらわした
出来事ですね。
涙が出そうです。
飛行機が無事到着した空港では、
その機に乗っていた
客室乗務員さんから
メッセージカードが贈られて、
古田機長さんの誕生日がもうすぐなので、
羽田空港でも、セレモニーが開かれて
花束や記念写真などが贈られました。
その席で、
運航本部長の龍神さんが挨拶で、
「私が4年前に安全推進室に
配属されたとき、同時に古田機長が
副室長として配属された。
そういう意味では職場の同期。
古田機長は安全を第一に
運航乗務員の目で
発言されていた」と
功績をほめたたえ、
「これからは教官として、
これからも後輩の
指導をお願いしたい」
期待を含ませました。
いや~、ここでも古田機長さんのお人柄が
垣間見えますね、同期にも尊敬されて。
その挨拶へのあと、
古田機長さんのお言葉がまたいいです。
「安全運航は各部門の多くの人たちの
協力によって成り立っていると思う。
身近なところでは、
乗員部はスケジュールや
身体検査、制服、ホテル、ミール、送迎等々で
支えてくださった。
そして、家族の協力もあった。
フライトに専念できる環境を整えて
いただいたおかげで
安全運航につながったと思っている」と、
周りへの感謝の言葉だけを
終始、皆さんにお話になる謙虚さ・・・
そして、一緒にラストフライト
させてもえらえた息子さんも
「乗務員生活の最後を
親子フライトという形で
やらせていただいて、
本当にありがたい気持ちと、
ほっとしている安堵感でいっぱい。
上空のアナウンスで、
今日がラストフライトと
アナウンスがあったとき、
幼いときの記憶などが蘇って
涙がこぼれてきた。
フライト前には勉強していたし、
体調管理のために、
食事制限や自転車をこいだりなど、
努力の賜物でここまで
乗務してこられたと思う。
尊敬の念が絶えない」と
父親の仕事への
努力・精神に対して、
心から敬意を払いました。
古田機長 パイロットになってからラストフライトまでの道のり
躍動感がある767#エアドゥ#AIRDO pic.twitter.com/KaOuCai530
— おらばた (@orabatakoukuu) December 28, 2019
古田機長さんは1973年にANAに入社して
パイロットになりました。
最初は航空機関士から副操縦士になり、
ついに機長となったあと、
2012年に一度定年を迎えて、
AIR DOに入社したんです。
これまでの総飛行時間は・・・
2万130時間18分にもなるんです!
AIR DOでの飛行時間は、
3393時間39分。
1万時間でベテランと言われる世界、
その倍以上飛行しているとは
脱帽ですね。
飛行の仕事のほかに、
AIR DOでは教官業務も
同時に任されていました。
そのほか、安全推進室の
副室長などを歴任して、
安全運航や後進の指導などにもあたった、
人柄が信頼される方にしか
できない仕事まで
任されていたのには、
本当に尊敬します。
そんなAIR DOに入社するときの、
ちょっとしたエピソードがあるんです!
息子さんは最初、
JALに入社したのですが、
で操縦士訓練中に
JALが破綻してしまって、
新千歳空港で地上スタッフを
していた経験と縁で、
AIR DOへ、2011年一足先に
入社していたんです。
その約半年後に古田機長さんが
ANAで定年を迎え、
当時の本部長と交流があったことから、
『息子が来てるぞ、お前も来ないか』
と誘われて自然に
入社する運びとなったのです。
世の中には、
業縁というものがあるんですね。
素晴らしい機長がいるAirDOはどんな会社?求める人材とは?
エンジン始動で雪の塊を吹き飛ばしてるベアドゥちゃん☺️
とても元気です🤭#北海道 #AIRDO pic.twitter.com/GS3ml2aOlS— まるこ (@marcoJA731A) December 25, 2019
ラストフライトの
親子フライトの出来事といい、
『息子が来てるぞ、お前も来ないか』の
出来事といい、
AirDOって、
アットホームな会社ですよね?
どんな会社なんでしょう?
古田さんは、
今後もAIR DOで機長を
つとめる息子さんに、
「ただ一つ、フライトは
お客さまのためにあるということ。
すべてはお客さまのためにあるので、
いろいろな面での考え方や、
難しい判断を迫られたときなどには、
お客さまファーストが
念頭にあればよい判断ができる。
そういうことを伝えたい」と
話しされたように、
接客業の極意を会得され、
実行してこられました。
「北海道の翼」として、
北海道6都市と、
本州の主要都市をつなぐAirDO!
他社では、万が一の時に、
一度に家族を失う
危険をともなう仕事なので、
家族同士は同情しない
というのが恒例という中、
こんな温かいエピソードがあるのは、
アットホームな会社なんだろう。
古田機長さんのお言葉を借りれば、
これからのパイロットたちに、
「機長は人柄が出る。
人間性を磨くことも、
技術を磨くのと同じぐらい
大事なこと。
だから人格を高めてほしい。
技術だけ、知識だけあってもダメ。
“できる人”だけでなく
“できた人”でないと
よいオペレーションはできない」
とおっしゃった、
そのまんまのAirDOが、
これからも古田機長さんのご指導の下、
ずっと続いていくことを
祈る気持ちです。
毎回、最悪なことの覚悟を決めて
仕事を確実にこなされ、
厳しい体調管理を自分で課して、
病気にもなれないと言う緊張感に、
ずっと耐え続けられました。
機長としての責任感を、
コックピットで孤独な立場で、
ものすごいプレッシャー
だったことでしょう。
そのお父さんの後ろ姿を見て
育った息子さんも、
せっかく就職できたJALが
途中で倒産するというどん底に、
好運なご縁でAirDOで切り拓いた・・・
人柄の素晴らしさは、
もう受け継がれていますね(^^)
親が特に何も語らなくても、
その姿を見て憧れを抱いて、
自然と親の仕事を志すように
なっていったのもうなずけますし、
我が子対してそういう親でありたい!
と思いました・・・現実は…ですが。
まとめ
AIR DOは北海道の厳しい
自然の中飛ぶ「北海道の翼」
その機長として、
1万時間でベテランと言われるのに、
その倍以上飛行していた
43年のパイロット人生・・・
その最後を締めくくる
最高のはなむけが
「親子フライト!」
安全推進室で一緒だった、
同期の方に、
「安全を第一に運航乗務員の
目で発言されていた」
と、言わしめたお人柄と、
それに付随する、
徹底した健康管理、体調管理、
そして最後まで、
なにがおこるかわからない!
という緊張感を、
機長という孤独な立場とプレッシャーに
ひとりで耐えながら、
乗員・乗客の生命と人生を
背負ってこられました。
古田機長さんご本人も
おっしゃっているように、
人間性だなぁと思います。
チームワークが要の仕事‼
整備士などの地上クルー、
客室乗務員だけにとどまらず、
スケジュール管理・身体検査、制服の準備、
ホテルやミールの手配、送迎にいたるまで、
支えてくれたバックヤードの仲間たち・・・
様々な分野の沢山の仲間との
チームワークがうまくいって
家族の協力もあって初めて、
安全な運航が成立するのですね。
その皆さんにまで、
挨拶で感謝を述べられた古田機長さんの
お人柄こそ、
そのピラミッドの頂点に
ふさわしいと思いました。
古田機長さんは、
これを一番伝えたかったのでしょう。
こういう方が上司だと
職場の雰囲気も
良くなるんでしょうね。
機長は“できる人”だけでなく
“できた人”に。
ただ一つ、フライトは
お客さまのためにあるということ。